お疲れ様です! いきくんです。
今回の内容はうまく伝わるかどうかわかりませんが、頑張って書いてみます。
「しくみ」としての音楽理論
今回するのは、音楽の「しくみ」と「方法論」を区別しようというお話です。
わかりやすい例でいくと、「スケール」について。
Cメジャースケール
このように「全全半全全全半」という並びのスケールを「メジャースケール」と呼ぶことや、
3度の音が明るい性質を持っていたり、7度の音が主音を導く力を持っていたり、
4度と7度の間にトライトーンが形成されていたり……。
これらは、「音楽のしくみ」の話をしています。
Cメジャースケールを「レ」から始めるとDドリアン、「ミ」から始めるとEフリジアン、というように、教会旋法を見出すことが出来ます。
また、ポピュラー音楽にはコードスケールという考え方があります。
例えば「Cmaj7」と「Cリディアンスケール」が表裏一体である、という事実。
これらは全て「しくみ」の話になります。
「方法論」としての音楽理論
しかし、スケール(あるいはモード)に基づいて「作曲する」という行為は音楽の「しくみ」でしょうか?
ポピュラー音楽における「コードスケール」で、「Cmaj7」に「Cメジャースケール」あるいは「Cリディアンスケール」を想定してメロディを書いたりすることは「しくみ」でしょうか?
これは「Cメジャースケール」とは何か、「Cリディアンスケール」とは何か、ではなく、そういうスケールのしくみを利用するという話ですね。
【しくみ】
・Cメジャースケールを「レ」から始めると「Dドリアン」ということ
・「Dm7」と「Dドリアン」が表裏一体であるという音構造
【行為】
・「Dドリアン」モードを利用して曲を作る
・「Dm7」に「Dドリアン」を想定してアドリブソロをとる
この場合「音楽のしくみ」を材料にして、何かしらの音楽表現やコミュニケーションを図る「行為としての音楽」の話をしていますよね。
これらはどちらも音楽理論に関係する話ではありますが、前者は「しくみ」、後者は「方法論」の話で、その目的が違うものなのです。
「しくみ」には厳密な定義づけや裏付けが必要不可欠です。
一方「方法論」として音楽理論を利用する場合は、むしろ創造性の方が重要です。
「しくみ」と「方法論」の双方向性
①音楽理論は(物理的な根拠も含む)音楽のしくみの解明によって成り立っている。
②音楽のしくみを方法論として利用して、作曲やアドリブ演奏がされている。
ここまでは大丈夫でしょうか?
さて、ですが実際には、誰もがこの順序に則って音楽をしているわけではありません。
構造を理解するうえで、まずは「しくみ」と「方法論」を分離する必要がありました。
ただし現実は「しくみ」→「方法論」への一方通行ではありません。
③音楽表現(作曲作品や、アドリブソロなど)を分析する際も、やはり材料として音楽の「しくみ」を使い、音楽理論は適時補強、更新され続ける。
つまり「しくみ」と「方法論」は区別されるだけでなく、
「しくみ」→「方法論」→<音楽表現>→「分析」→「しくみ」
という円環をなしているわけです。
おわりに
「音楽理論」と一口にいっても「しくみ」や「方法論」は区別されるべきで、
両者の目的は明確に異なります。
広義にはどちらも「音楽理論」なので、同じ用語を使っていて、それによって混乱してしまうだけなのです。
ここまでは事実のお話。
ただし今回の記事は、その具体的な解釈や説明の仕方については僕の個人的な見解によって書かれていますので、
人それぞれ自分なりの解釈で捉え直して頂いて問題ないと思います。
重要なのは、「区別するべきところは区別する」ということですね。
音楽について考えるときの不自由さが、ひとつ消えると思いますよ!