お疲れ様です! いきくんです。
今日は、伝わるか分からないけれど、伝わったらいいなあというお話しをします!(笑)
耳が育っていない段階
小さいころから絶対音感があって、音が全て「ドレミ」のカタカナで聞こえてくる、という人も一定数いると思いますが、
そうでない多くの人は、基本的にボーカルやドラムのように最も外側に位置する音が一番に聞こえてきますよね。
そして、例えばバンド系の曲であれば、ギターやベースやキーボードが鳴っているのはなんとなく分かっても、
いざ聞き取ろうとすると音が全部かたまりのように聞こえて、個別のパートを聞き分けるなんて無理ゲーのように思えてきます。
耳が育ってくると
慣れてくると、パートごとの音がなんとなく区別できるようになってきます。
僕の場合、はじめはベースの音程を追いかけることが出来るようになり、徐々に他の楽器の音も追いかけられるようになり、
やがて、かたまりでしか聞こえなかった「コード」の音が、一声ずつ聞き取れるようになりました。
また、はじめはゆっくりにしたり、何度も繰り返し聞かないと聞き取れなかったものが、
速いテンポでも聞き漏らさずに追えるようになったり、一度にたくさんの情報量を処理できるようになったりします。
こうなると強い。
耳コピで簡単にコードをとることが出来るので、わざわざ楽譜を買う必要がなくなります。経済的。
……ですが。
ここで終わってしまう人が多いんですよね。
もしくは、この能力をさらに突き詰めて、より高い精度で、より多くの音を聞き取れるようになることが、耳を良くすることだと思ってしまったり。
いや、もちろん耳が良いというのは間違ってはいないのですが、
実はこれだけなら、プロの音楽家でなくても出来る人はいくらでもいますし、絶対音感を持っていたり、ちょっと勘の良いタイプの人ならすぐ出来るようになります。
ただ、この能力はあくまで音を「聞き取る」ところまでで終わっているんです。
これが分かると一皮むける
なんでもかんでも日本人論にする気はありませんが、敢えて言うと、日本は少しスペック主義的なところがあります。
(AppleはiPhoneというライフスタイルを提案することが出来たけれど、日本はカメラの画素数とかをハイスペックにすることにひたすら全力を尽くしてしまう……なんてことを誰かが言っていたような。)
まあそれはともかく、音楽においてこの話は結構重要です。
実は、曲を聴いたときに色々な音を「聞き取る」ことが出来るようになるのとは、別のステージがあるのです。そして、それは「聞き取る」能力を突き詰めるだけでは進めないステージです。
例えば、僕がアメリカで出会ったミュージシャンの中には、楽譜を読むのも遅いし、日本の音楽学校でやるようないわゆる「聴音」の問題はガタガタに間違えるのに、
初めてやる曲のアドリブを、理論的にもバッチリカッコよく演奏してしまう人が結構な割合でいます。
(これは日本のジャズ研によくいる「私感覚で出来ちゃうんです」って言いつつ実際は出来ていないタイプの人とは違って、本当に出来ているという意味です。)
彼らは、音を聞き取っているわけではありません。
音楽そのものを非常にピュアに聞いているのです。
耳が育っていない段階と同じように、改めて、音楽全てをかたまりで聞くのです。
優れた音楽家は、音を聞き分けられるかどうかとは別のアプローチで、当たり前のピュアな事実として、「Cmaj7だからCmaj7だよ」というのが分かります。
もちろん、音を聞き取る能力を突き詰めるだけでも、パッと聞いただけで「Cmaj7だ」、とわかるようになります。でも、それとは微妙に違います。
魔法使い自身が魔法になる、みたいな中二病っぽい表現がありますが、それに近い話です。
デジタル情報の音ではなく、生きた音楽そのものの、ありのままを聞く力です。
「ありのまま」は「ありのまま」でしかないので、極端な話、もうそこにコードネームなんて必要ないかもしれません。
(もちろん第三者との情報の共有のためにコードネームは必要ですけどね。)
……今回はちょっと抽象的なお話になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?
もちろん、こういう聞き方をしないと音楽が楽しめないということではありません。
ただ、(恐らく皆さんが思っている以上に)優れた音楽家が音楽を聴くとき、音を聞き取る力より、ありのままのキャラクターを聴く力を使っているというのは事実です。
こればっかりは実感が伴わないとなかなか伝わりづらい話だと思うのですが、いつかどこかで「こういうことか!」と思って頂けると嬉しいです。